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31歳会社員 聴覚過敏のわたし ~耳栓をすると「普通」になる世界~

 

小さい頃から、音に敏感だった。

せき・くしゃみ、足音、鼻をすする音……

普通の人が「雑音」と感じる音。

これらの小さな音が、とても大きく聞こえる。

神経が昂っているときは、耳元で大声を出されているように聞こえることもある。

いわゆる、聴覚過敏である。

 

私は祖父母・両親・兄弟との3世帯同居の家で育った。

昔ながらの日本家屋は、壁が薄く、部屋の境界がほとんどない。

私にとってこの家は、音の洪水だった。

 

学校もそうだった。

30人前後の人間が1つの空間で、7時間以上で閉じこめられる。

学校は、家よりも何倍もの音がした。

 

私は小学校の低学年までは特に問題のない、成績優秀な子どもだった。

しかし、高学年になったとき、突然学校へ行けなくなった。

私の不登校は、家と学校の雑音に疲れ果てて、

学校の雑音をシャットアウトしようとした結果だった。

ただその頃は、なぜ自分がいわゆる「不登校」になったのか、分からなかった。

心の底から「なんでみんな、普通に学校へ行けるの?」と思っていた。

自分の音に対する感覚が普通と違うことに気づいたのは、30代になってからだった。

 

20代の頃、実家を出て姉と2人暮らしを始めた。

姉はとても気が合う人で、私の音に対する敏感さを理解してくれた。

8年間一緒に暮らしたが、私は結局、2人暮らしにも耐えられなくなってしまった。

姉も音に敏感なほうだが、私ほど極端ではなかった。

それでも姉は十分に気を遣ってくれていた。

私が、自分の敏感さのせいで、姉の行動を制限するのに疲れてしまった。

疲れて家に帰ってくるのに、

「リビングのテレビはイヤホンをつけて見て」

「扉はゆっくり慎重に、でも確実に閉めて」

「足音を立てないように廊下を歩いて」

22時以降に風呂に入るのをやめて」

などと言われたら、どうだろう。

私だったら、自分の家でそんなことを言われたくない。

 

他にも色々と事情が重なり、姉に頼んでお互い一人暮らしを始めることにした。

姉と暮らしているあいだ、眠るとき必ず耳栓をしていた。

耳栓というのは、音がシャットアウトできて便利だが、

私の使っていた安価なスポンジ状のものは、耳の中で膨らむ感じがどうにも不快だった。

それでも使わずにはいられなかった。

遅い時間に風呂に入る姉の足音で、脳が覚醒してしまうからだ。

 

一人暮らしを始めた最初の夜。

数年ぶりに耳栓をつけずに眠った。

そのとき、とんでもない解放感を味わった。

私は人生で初めて、完璧な静寂の中にいた。

 

夜は不安になりやすい。

眠りに落ちる前、いつものように、少し不安になる。

頭の中の広場に、うっすらと霧のような心細さが、ぼんやりたゆたっているようだ。

ただ、今夜は少し様子が違った。

広場の真ん中には、確かにドーンと、大きな自由があった。

その気配に、戸惑う。

でも小さい頃から、知っているような気がした。

たくましくなった自由は、今日から私の相棒だ。

私は見慣れぬ自由の傍で、静寂に包まれながら、ぐっすりとよく眠った。