25歳の私は、自分のことが嫌いだった。
容姿も、性格も、すべて。
嫌いで、許せなくて、どうして自分はこんなにダメなんだろう、と毎日考えていた。
いわゆる自己肯定感というものが、すごく低かった。
人前ではきちんと見えるように意識して、常に身体が緊張していたし、そのせいでずっと疲れていた。
夜は自己嫌悪で眠れなくなるから、頭の中を静かにしないように動画を見ながら寝落ちしていた。
金曜日の夜、一瞬の解放感に包まれ月曜が来ないことを祈った。
せっかくの休日も、頭の中がずっと騒がしくてうまく眠れなかった。
月曜の朝は、疲れが取れないまま出勤していた。
仕事はうまくいかない。
恋人と会うのがしんどい。
友達と会っても楽しめない。
そんな毎日を送っていた。
思えば10代の頃から、自分というものに全く自信が持てずにいた。
その自信のなさから「こうあるべき」という理想を、自分に押し付け続けていた。
その理想とは、
・社交的であるべき
・誰とでも仲良くすべき
・恋人を持ち、いずれ結婚し子供を産むべき
・女らしくあるべき
・誰にでも優しく接するべき
・家事や掃除などが当たり前にできるべき
などなど。
けれど、やればやるほど疲れ果てて、うまくできなくて落ち込む。
それでも、明日はやってくる。
明日も“ちゃんと”しなきゃ。
そう思うのに、できない。
毎日が憂鬱だった。
毎日を金曜の夜みたいに、すがすがしくて楽な気持ちで過ごせたら、どんなに幸せだろう。
ネガティブで自分のことが大嫌いだった私は、そんな夢を見ていた。
そんなとき、ふと思った。
25歳。
仮に平均寿命が85歳だとしたら、残りの人生は60年。
このまま、気楽に生きたいと願い続けながら死んでいくのだろうか。
そう思うとゾッとした。
自分を変えたい。そう強く思った。
私はこの「自分嫌い」を、誰にも打ち明けられずにいた。
自分を変えられるのは、自分しかいないと思った。
それから少しずつ、自己肯定感向上のために色んなことを始めた。
仕事でミスが多い自分を変えたくて、精神科へも行ってみた。
そこで、HSPだと診断された。
私が今まで苦しんでいた「生きづらさ」の正体を見つけた気がした。
向精神薬で症状を和らげつつ、
本を読んだり、身の回りを整えたり、お金のことをちゃんとしたり。
心配ごとを、少しずつ減らす工夫をした。
そして30代を迎えた今、少しだけ楽に生きている。
楽になったら、これまでやってきた色んなことを書き留めておきたくなった。
25歳の私へ。
いろいろ頑張ってくれて、ありがとう。
おかげで楽しく生きてます。
そんな感じで、ぼちぼち更新していきます。