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大嫌いなパワハラ上司に教えられた”自分を大切にする”方法

自分がHSPだと判明した記事を書いたときにも登場したが、
私にはかつて、大嫌いな上司がいた。
端的に表現すると「パワハラ気質の、声デカ無神経ハゲ」である。
気が弱い人間を嗅ぎ分け横柄な態度で黙らせる、機嫌によっては言葉が通じなくなるタイプの上司だった。
何故そんな人が上司をやっているのか甚だ疑問だが、
私のいた会社は、営業職がメインであるが故に離職率が高く、
普通の人間が淘汰されバケモノみたいな人間が残って偉くなっちゃうのだ。ブラック企業あるある。

機嫌で態度を変える人が上司になると、会社の雰囲気は最悪だ。
独り言なのか喋りかけてるのか分からない音量で小言を言ったり、
部下のミスを全員がいる前で叱咤したりは日常茶飯事。
少しの物音や、大きな声にドキドキしてしまうHSP気質の私には地獄だったが、他の社員の人たちとも「キツかったよね」と話題になるので、HSP関係なしにあの上司はマジでやべー奴だった。

その日、社内用携帯に例の上司から電話がかかってきた。
5月のGW明け、静岡では気温が25℃に届く日もあった。
「あ、どうも!○○です」
上司の声は明るかった。今日はご機嫌だ、と内心思う。
私「お疲れ様です」
上司「ねえねえ、蚊を殺すやつ、支店にある?」
私「ノーマットですか?ありますけど、多分詰め替え切らしてますね」
上司「そうなの?最近さ~たまに蚊がいるから欲しいんだよね」
いや、なんでこれを電話してきた。支店に帰ってから話せばよかろう。
そう思ったが、備品の管理は事務である私の仕事だった。
いつも先回りして揃えておくようにしていたので、うっかりしていた。
「あ、すいません。買っときます」
すると上司が、笑い出した。
中年男性だが声が高く、南国の鳥みたいな笑い声である。
っていうかなんでこのタイミングで笑うんだ?サイコパスか?
そう思っていたら上司がこう言った。
「なんでアナタが謝るの?」
他愛もない一言だった。でも私はハッとした。とっさに言葉に詰まる。
そんな私の様子に気付かない様子で、上司は続けた。
上司「蚊をうちの支店に放したなら別だけどさ」
私「ハハ……たしかにそうですね」
上司「じゃ、よろしくね~」
電話はそこで終わった。

それから数年たった今でも、ときどきこの電話を思い出す。
私は当時、仕事のミスが多く、落ち込むことが多かった。
ストラテラという薬を服用して落ち着いたが、
そもそもミスが多かったのは、無意識に自分を責めてしまう「思考のクセ」が原因のひとつだった。
当時、それを自覚しつつあった頃だったので
「なんでアナタが謝るの?」という言葉にハッとした。
「またミスをするんじゃないか」といつもビクビクしながら過ごしていた私は、
いつのまにか自分に非がなくてもとりあえず謝ってしまうクセがついていた。
上司からしてみれば、とくに深い意味もない言葉だったのかもしれない。
でも、私には「そんなに自分を卑下しなくていい」と言われているように感じた。

日本の会社で働いてると、つくづく「すいません」は便利な言葉だと思う。
でもときどき、その功罪について考える。
特に客先に対しては「すみません」を多用する。
「お客様は神様」の精神が、あらゆるサービスを無償化してきた。
その結果、日本人の給料は他の先進国と比較して少ないままだ。
お客様だけではない。上司や同僚、あらゆる人間関係において「すいません」と口にする。
「すいません」は、自分の価値を無意識にどんどん下げていく。
でも、みんなが使っているから問題ないと思ってしまう。
「当たり前」や「普通」と思い込むことが、自分の心を蝕んでいる原因だとは夢にも思わない。

そうはいっても、明日から急に社会が変わるわけでもない。
急激に人権意識が浸透して、客と店員は対等な関係、年功序列がなくなって誰とでもフラットな関係を築けるなんて、魔法のようなことは起こらないのだ。
「すいません」は便利なままだし、客も上司も高圧的なまま。
会社員の呼吸、一の型「謝罪!」とばかりに「すいません」を使ってしまう。

でも時々、あの上司との電話を思い出す。
「そんなに卑下しなくても、大丈夫」
すいませんを連呼する日々の中、私は私に、そう声を掛ける。
そのとき、少しだけ凪いだ気持ちになるのだ。