小さい頃から、音に敏感だった。
せき・くしゃみ、足音、鼻をすする音……
普通の人が「雑音」と感じる音。
これらの小さな音が、とても大きく聞こえる。
神経が昂っているときは、耳元で大声を出されているように聞こえることもある。
いわゆる、聴覚過敏である。
私は祖父母・両親・兄弟との3世帯同居の家で育った。
昔ながらの日本家屋は、壁が薄く、部屋の境界がほとんどない。
私にとってこの家は、音の洪水だった。
学校もそうだった。
30人前後の人間が1つの空間で、7時間以上で閉じこめられる。
学校は、家よりも何倍もの音がした。
私は小学校の低学年までは特に問題のない、成績優秀な子どもだった。
しかし、高学年になったとき、突然学校へ行けなくなった。
私の不登校は、家と学校の雑音に疲れ果てて、
学校の雑音をシャットアウトしようとした結果だった。
ただその頃は、なぜ自分がいわゆる「不登校」になったのか、分からなかった。
心の底から「なんでみんな、普通に学校へ行けるの?」と思っていた。
自分の音に対する感覚が普通と違うことに気づいたのは、30代になってからだった。
20代の頃、実家を出て姉と2人暮らしを始めた。
姉はとても気が合う人で、私の音に対する敏感さを理解してくれた。
8年間一緒に暮らしたが、私は結局、2人暮らしにも耐えられなくなってしまった。
姉も音に敏感なほうだが、私ほど極端ではなかった。
それでも姉は十分に気を遣ってくれていた。
私が、自分の敏感さのせいで、姉の行動を制限するのに疲れてしまった。
疲れて家に帰ってくるのに、
「リビングのテレビはイヤホンをつけて見て」
「扉はゆっくり慎重に、でも確実に閉めて」
「足音を立てないように廊下を歩いて」
「22時以降に風呂に入るのをやめて」
などと言われたら、どうだろう。
私だったら、自分の家でそんなことを言われたくない。
他にも色々と事情が重なり、姉に頼んでお互い一人暮らしを始めることにした。
姉と暮らしているあいだ、眠るとき必ず耳栓をしていた。
耳栓というのは、音がシャットアウトできて便利だが、
私の使っていた安価なスポンジ状のものは、耳の中で膨らむ感じがどうにも不快だった。
それでも使わずにはいられなかった。
遅い時間に風呂に入る姉の足音で、脳が覚醒してしまうからだ。
一人暮らしを始めた最初の夜。
数年ぶりに耳栓をつけずに眠った。
そのとき、とんでもない解放感を味わった。
私は人生で初めて、完璧な静寂の中にいた。
夜は不安になりやすい。
眠りに落ちる前、いつものように、少し不安になる。
頭の中の広場に、うっすらと霧のような心細さが、ぼんやりたゆたっているようだ。
ただ、今夜は少し様子が違った。
広場の真ん中には、確かにドーンと、大きな自由があった。
その気配に、戸惑う。
でも小さい頃から、知っているような気がした。
たくましくなった自由は、今日から私の相棒だ。
私は見慣れぬ自由の傍で、静寂に包まれながら、ぐっすりとよく眠った。